第1回大阪大学企業コンプライアンス研究会概要
2008年7月3日(木)18時から20時過ぎまで、大阪大学豊中キャンパス法経総合研究棟3Fセミナー室Aにて、第1回大阪大学企業コンプライアンス研究会を開催致しました。本研究会は、企業のコンプライアンスの議論が会社のガバナンスに関わる大きな制度設計の段階から現場レベルでのコンプライアンスの実現に関わる議論の段階へと移行しつつあることを受けて、様々な法分野、社会科学・人間科学分野を交えた学際的な視点で、コンプライアンスを向上させる現場での対話やリーダーシップの望ましいあり方を検討するために立ち上げた研究会です。さしあたりは来年度の科研費・外部資金の獲得を目指し、今年度中に数回の企画を実施しようと目論んでおります。第1回研究会では、親しくさせて頂いている、弁護士で桐蔭横浜大学法科大学院教授の大澤恒夫先生に「励ましとしてのコンプライアンス」というタイトルで基調報告を行っていただき、それを手がかりとしてディスカッションいたしました。少人数ながら学内のみならず学外の研究者や弁護士も交えて充実した研究会になりました。
大澤先生の基調報告は、先生ご自身がどのような経緯で登録後すぐに日本IBMの社内弁護士になられたかというお話から始まりました。そして、日本IBMでの経験と、その後の顧問弁護士や社外監査役としての経験を手がかりとして、コンプライアンスに関わる者(社内弁護士であれ、顧問弁護士であれ、はたまた一般従業員であれ)はどのような役割を果たすべき存在なのかを明らかにされました。大澤先生によれば、コンプライアンスに関わる者は映画「12人の怒れる男」の8番陪審員のように、自分の感じるままに疑問を提起し、周囲の圧力に屈せず、それでいて他者の意見に素直に耳を傾け、その疑問の解明に冷静かつねばり強く取り組むような存在であるとのこと。また、問題発生局面で様々な議論が錯綜するなか、中立的な立場で議論を交通整理するファシリテーターの役割を果たす存在も、コンプライアンスにとって重要だとされます。人間は容易に周囲の雰囲気に流される存在です。雰囲気に流されずに疑問を提起し、ねばり強く解明しようと試みる存在がいかに貴重であるか、また、疑問を解明していくにあたって、議論を交通整理する中立的ファシリテーターの存在がいかに重要であるか、思い当たることは多々あります。大澤先生は、企業における法実践とは、まずもって現場で活動している経営者や従業員の自律を支援し、時として問題に直面し、萎縮している彼らの気持ちをほぐし、問題に積極的に取り組めるようにする(自律性支援)とともに、そのような取り組みが正しいことだと伝えることで正当化の手助けをする(正当性支援)こと、その両方を通じて、経営者や従業員が納得づくで企業活動に取り組めるようにすることであると言います。経営者も従業員も生身の人間です。だからこそ、そのような個人としての経営者や従業員の自律性と正当性を側面から支援する「励ましとしてのコンプライアンス」が重要になってくるというのです。
「励ましのコンプライアンス」にとっては対話が決定的に重要です。対話によって、困難の中で混乱している経営者や従業員の「自己の物語」の修復を支援するのが「励ましのコンプライアンス」の実践です。より具体的には、偏りのない「無知の姿勢」で経営者や従業員の話を積極的に傾聴し、問題の真の原因の探求と、納得できる再発防止策を立てることが求められます。コンプライアンスに関わる者は、たとえ社外の弁護士としてコンプライアンスに関わる場合でも、経営者や従業員と一体となって、彼ら個々人の参加意識を高め、彼らと一緒に真の問題について考え、彼らの自律性・正当性の励ましをおこなわなければなりません。そして、その会社が社会から求められる応答責任に迅速かつ適切に応えることができるように支援しなければなりません。
話はコンプライアンスを担う「専門家」に及びました。大澤先生によれば「専門家」(弁護士を念頭に置いていますが、これに限定されません)は「反省的実践家」でなければなりません。しばしば専門の枠を越境し、経験を通じて学びながら問題の解決に取り組むのが「反省的実践家」です。このような「専門家」は、目立たないところで、忍耐強く慎重に一歩一歩行動する人、犠牲を出さずに自分の組織や周りの人、自分自身にとって正しいと思われることを実践する人、要するに「静かなリーダーシップ」を発揮する存在でなければならないとされます。リーダーシップとは、見えないものを見て、あるいは見ようとして一人で歩み出すことです。そのような実践こそが、困難な状況に突破口を開き、人々を問題解決へと一歩進ませることができるのです。さらに、コンプライアンスを担う「専門家」に求められる技法としてファシリテーションが重要であるとされます。ファシリテーションとは、質問や発言、言い換えや要約、視点の転換といった手法を駆使しながら、中立的な立場で議論の交通整理を行い、関係者が自律的に解決を見いだすのを支援する技法です。専門知識を武器に人々を説き伏せ、強引に問題解決へと導いていく従来の専門家像とは全く異なる専門家像が示されました。
大澤先生は最後に、自ら社外監査役として経験した事案を講義用にアレンジした事例を示して、自らのコンプライアンス教育実践について紹介されました。事例は、あるメーカーで使用期限の切れた製品が販売されているという情報を同社元従業員の内部告発で得たという○○報道社(明らかに反社会的勢力)から、取材をさせろというような内容の手紙が届いたという設定です。授業では、この手紙を受け取った会社として、どのようなアクションプランを立てるべきかをグループ討議し、その後、グループを会社役員・従業員役と弁護団役とに分けて、相談会議のロールプレイを行い、事後に振り返り等を行うことで、法科大学院の学生に実践的なコンプライアンスを学ばせるとのことでした。ちなみに、大澤先生がこの問題に直面されたときには、ためらう社員を励まし、参加意識を持たせ、徹底した事実解明を支援するとともに、再発防止策の策定を手伝い、さらに、先手を打って自主的に監督官庁への報告とプレスリリースを行なって、全社一丸となって問題解決に取り組む機運を高めたのだそうです。大澤先生は、社員の参加意識が高まり、会社の結束力が強まったことが印象的だったと言います。全社一丸となってのコンプライアンス実践は会社を活性化するということが言えそうです。
ディスカッションの詳細は紹介できませんが出された質問の主要なものは次の通り。@小さな組織ならともかく、大きな組織で専門家が対話を促進するというのは困難なのではないか(回答:若い人に責任を持たせて任せ、彼らを対話の専門家として育てていくことで、組織全体に対話実践を広げていくことは可能なのではないか)、A対話を促す環境整備はどのようにして進めるのか(回答:日常の細かな場面に対話的手法を持ち込むことで、対話を促す環境を少しずつ整えていく)、B社内弁護士としての関与と社外の顧問弁護士や社外監査役としての関与とはかなり異なるというイメージだが、実際にはどのように異なるのか(回答:社内弁護士は社員と一緒になって問題解決に取り組むのに対して、顧問弁護士や社外監査役などは、外部者の特権として「無知の姿勢」でいろいろなことを質問し、内部とは違う視点で問題発見に努めるということなのではないか)、C外部からの関与は内部での対話を促進するということが言えそうだが、何によって対話が促されるのか(回答:社外監査役や顧問弁護士にも一定の「責任」が課されており、その責任を果たすべく一生懸命対話に努めるからこそ、社内の対話促進に貢献する)、など。充実したディスカッションでした。 第1回大阪大学企業コンプライアンス研究会は基調報告もディスカッションも非常に盛り上がり、大変楽しいひとときでした。今後はさらに活動を拡げ、外部資金を獲得し、対話実践によるコンプライアンス支援の輪を広げていきたいと思っております。
[福井康太]