新世界アーツパーク未来計画シンポジウム
大阪・新世界の娯楽施設であるフェスティバルゲートは、大阪市交通局霞町車庫跡地開発プロジェクトの土地信託事業として、1997年にオープンし、集客施設として期待されていたが、集客は振るわず、テナントは次々と撤退し、商業施設としての機能は停滞している。この施設を有効活用するために、大阪市がテナント料を負担し、大阪市内を拠点とするアートNPOに無償で貸し、大阪市とNPOが協働して芸術文化事業を推進する新世界アーツパーク事業が、2002年に本格始動した。
特定非営利活動法人ダンスボックス、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織(remo)、特定非営利活動法人ビヨンドイノセンス、特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋(cocoroom)という4つのアートNPOが、「公設民営」方式で社会とアートをつなぐ試みを実践してきた。当初は10年計画で、長期的に大阪に実験的アートの拠点を形成するというのが大阪市の文化政策の方針だった。
ところが、2005年5月に、フェスティバルゲートの運営継続が危ぶまれる状況ゆえ、大阪市から移転の打診が4つのNPOに対して投げかけられた。各NPOは、フェスティバルゲートでの活動を開始して3年間で、地域との交流も積み重ねてきた。そうしたなかでの突然の移転の話に、どのように対応すべきか。そのための議論を公開の場で行なうという企画が持ち上がり、NPO4団体により、新世界アーツパーク未来計画実行委員会が結成された。 新世界アーツパーク未来計画シンポジウムは、2005年5月から11月にかけて4回おこなわれた。シンポジウムでは、各界の専門家をゲストに招き今後の可能性を議論するとともに、新世界の商店街の住民も参加し、地域に根ざしたアートNPOの活動の可能性も模索された。
根本的な問題として、行政とNPOのパートナーシップにおいて、つねにNPOが弱い立場に置かれているという構造がある。シンポジウムのなかで議論されていたが、当初は対等なパートナーシップの関係だったのが、いつのまにか行政がNPOを支援している、という文脈へシフトしていたという流れがあるという。公共性を担う社会的行為主体として、NPOの活動の継続性を保障するような法制度を整備することが望まれる。現状では、ただでさえ脆弱な活動基盤しか持たないNPOが行政の政策転換に振り回されて、活動継続さえ困難な状況に陥りかねないという問題が実際に起こっている。また、NPO経済的事情もあり、法的資源へアクセスしにくいという問題も抱えている。
第1回〜第3回までの新世界アーツパーク未来計画シンポジウムの内容は、log osaka web magazine 上で読むことができる。
[渡邊 太]
http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=167